看護師 求人を映し出す鏡

医師は診察に訪れず、結局、絞振性イレウス(腸閉塞)で亡くなってしまった。
私は、この男児のお母さんを良く存じ上げています。
現在はある病院で医療安全に関わる仕事を担当しています。
事故の後、社会に対していろいろと発言するようになりました。
実際に起きたある事件を教訓とするのは大切なことで、同様のことが虎の門病院で起こらないように、上司の副院長の依頼でこの項目を付け加えました。
普段より看護師を含めたコメディカルと、診療内容や患者の反応について円滑な意思疎通に努める。
特に、コメディカル側に診療内容に疑問があった場合、積極的に医師に伝えることを奨励し要請する。
診療内容によってはコメディカルが法的責任を問われることがありうるので、疑問には誠実に答える義務がある。
こうした意思疎通の努力が医療の質の向上につながる。
医師は、指示や処方を間違えても途中で安全網に引っかかることが多い。
しかし、看護師は最終的に投薬や点滴をする立場にあるため、しばしば医療事故の当事者になる。
刑事責任を問われる看護師は多いのです。
昔は、医師の言うことに口を出すな、と言いたがる医師がいましたが、そんなことは今や許されません。
刑事責任が問われうるということは、相応の権限があるということです。
看護師が「これはおかしい」と思ったら率直に意見を言うべきだし、医師も誠実に聞いて答える義務があります。
これは、努力目標ではなく義務なのです。
診療方針の決定と変更部長(あるいは部長に準ずる医師)は少なくとも週1回カンファレンスを開催し、管理下にある全患者の診療の基本方針を討議に付す。
診療方針の決定は当該診療単位の全員一致を原則とする。
カンファレンスでは既往歴、現病歴、身体所見、検査値、画像診断等から、患者の病像を再構成する。
これに、過去の文献上の証拠、患者の社会的背景、意思等を加え、合理的議論によって診療方針を決定する。
特定の医師の慈意や、科学的裏付けのない権威を診療方針決定の根拠としない。
診療方針は命令で決められるものではありません。
過去には、大学病院の教授は恐ろしいほどの権限を持っていました(今でもそうかもしれませんが)。
権限の最も大きいものは人事権です。
権限を背景に無理を押し通すことがありました。
若い医師が医学的に適切でないことをしようとしても簡単に防止できますが、一番立場が上の医師が適切でない医療行為を推進しようとすると、なかなか防止できない。
大学病院で、実際にそうしたことがあった。
そのために作りました。
医師は予定された診療行為が適切でないと判断した場合、この判断を変更することなく当該診療行為を実施してはならない。
医師は予定された診療行為が適切でないと判断した場合、カンファレンスでその旨表明し、合理的議論で適否を検討しなければならない。
深刻な意見の対立が合理的議論で解消されない場合、虎の門病院のすべての医師は個別に調査委員会に調査検討を要請することができる。
また、調査要請の行動そのものを理由に人事上、不利な扱いを受けることはない。
これはいけない、と思ったら、その診療行為をしてはいけない。
反対すべきは反対し、きちんと議論をしなさい、やった場合には、それなりの責任を伴う。
命令ではなく自発的にやったものとみなしますよということです。
たとえ上司から強要されて嫌々ながらに参加したとしても、参加した以上は、個人的責任が生じる。
薬害エイズ事件では、安部英氏が部下の内科医に外国製の非加熱製剤の投与を控えさせる措置を講じる義務があったのに、それを怠り、患者にエイズを発症させ死に至らしめたとして業務上過失致死で起訴されました。
これには大きな違和感を覚えました。
医師免許は国家が個人に対して認めた資格であり、医師は独自の判断能力を有することを期待されている。
部下の内科医ではなく上司の安部氏だけを起訴したのでは、医局の封建的教授の権威を抑制することにはなりません。
最近、「自己決定権」が、一人歩きしすぎている傾向あり、患者側の要求に押し切られて、若い医師が何でも従ってしまうことがある。
後になって患者側が、そんなこと頼んだ覚えはないと言って刑事事件になることもある。
若い医師を守るための規定です。
患者の希望があっても、当該診療科に経験がなく、かつ、十分な準備のない診療は、原則として行なってはならない。
患者の希望があっても、倫理や法律に反する行動をとってはならない。
患者の希望があっても、医学上適切と思われない診療行為は実施しない。
適切でない診療行為は、他の医療機関で行なうとしても、その実施に承認を与えたり、実施の援助をしない。
九九年頃、がん患者に他人の血液から抽出したリンパ球輸液を投与していた施設が警視庁に摘発されました。
そこに紹介状を書いていた医療機関が多数あったというので、日本中で問題になりました。
リンパ球輸液の投与は、移植片対宿主病という致命率のきわめて高い病気や、ウイルス感染などが発症する可能性があります。
状況によってはかなり危険なことになります。
そうしたことのないように、不適切と思われたら、絶対に自分の名前で紹介状は書かないということです。
こうした基本指針を作成しても、その通りに実行するのは容易ではありません。
例えば、「重要な説明は、静かで落ち着いた、外部からみられず、音声が外部にもれない部屋で行なう」としていますが、実のところ、そういう部屋は病棟に一、二しかない。
カンファレンスや他の患者への説明と重なったりすることも多く、常に実現できているわけではありません。
しかし、到達するべき目標を成文化して掲げていることは大切なのです。
インパクト・ファクターという仮想現実大学の大きな問題の一つは研究至上主義です。
文部科学省は、大学の役割を人材の育成ではなく、明らかに研究とみている。
研究業績をふりかざして予算を要求する圧力に負けているだけかもしれませんが、いずれにしても同省は、独立行政法人化の流れのなかで「業績」の少ない大学を淘汰しようとする動きをみせました。
大学の業績とはすなわち論文の数、それから新しい技術です。
地道な努力で、臨床の成績を上げるような実質的なことではなく、とにかく、目立つことがよいことなのです。
大学病院では、一度教授が新奇な医療技術を取り入れると宣言すると、それまで採用していた安定した方法はとれなくなる。
医局員は患者に手術の説明をするときも従来の方法については言及しなくなりました。
教授に叱責されることを恐れたためかもしれませんが、多くは、医局という組織に属するものとして、自ら進んでそうした行動をとっていたと思います。
アメリカやヨーロッパでは、基礎研究の多くは学位を持った理学、薬学あるいは農学部の出身者が担っています。
しかし、日本の大学は、臨床医であっても基礎研究を重視します。
しかし、臨床と研究は両立しません。
基礎研究にばかり夢中になっていると、臨床がおざなりになってしまう。
医学部には、教授職に異様な執着を示す医師たちがいます。
教授選挙を左右するのがインパクト・ファクター、つまり論文に対する評価を数値化したものです。
評価といっても、内容が問題ではありません。
ある雑誌に掲載された論文が、科学論文全体にどの程度引用されているかで、雑誌ごとに基礎ポイントが決められます。
雑誌に論文が掲載されると、一論文につき、その雑誌の基礎ポイントが与えられます。

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